ブログの理念と著者(かずほ)のプロフィール

はじめまして、1998年生まれで東京在住のかずほです。

 

このブログでは、
才能も人脈もないただの一般人が
会社に縛られず個人でお金を稼ぎ、
自由の高い人生を自分でデザインしていく術を書いてます。

 

具体的には、情報発信ビジネスのやり方です。
情報発信ビジネスとは
ネット上に文章なり動画なり自分の分身を残していって代わりに働いてもらうことを指します(だいぶざっくりな表現です)

 

さて、ただただ情報発信のことを書いていっても
お前誰だよってなりそうなので
自己紹介の記事をここに残していきたいと思います。

 

僕が幼少期にどんな人間で
どういう思想をもって今ビジネスに取り組んでいるのか
理解してくれたらうれしいです。

 

その方が僕のブログ記事やYouTubeを見るときの
理解度が深まります。

 

少々長いかもだけど是非読んでもらえると嬉しいです。

 

では、スタート。

 

小学生~抜毛症になり人生が狂う

僕は1998年の11月に神奈川県川崎市で生まれます。
父は日本人、母は台湾人という二人で俗にいう僕は“ハーフ”として生まれます。

 

生れたときから母の帰省で台湾に連れて行ってもらい、
色んな台湾人を見てきた僕ですが、
やはり日本と台湾の文化の違いと言いますか、
価値観の違いを肌に感じてきています。

 

具体的に一つエピソードを挙げるとするのであれば、
“子育て&教育面”です。

 

どういうことかというと、
台湾は超学歴社会と言いますか高学歴でなきゃならない!っと思ってる人が多くいます。

 

日本の公立小学校なんかはどれだけ長くても6時限目までで3時過ぎには放課後に突入します。
ですが台湾の小学校は7時限目まで当たり前ですし、
公立であっても土曜に登校するのも普通です。

 

放課後に遊んだりする子は少なく基本的に補修班(日本で言う学習塾)に通うのも普通です。
実際台湾の街を歩くと地域にもよりますが学習塾の店舗の数はとても多いです。
土地と子どもの数を考えたら正直日本より多いです。

 

もちろん日本人だから~台湾人だから~
という強引なくくりには出来ないです。

 

日本の子どもだって中学受験をする子だってたくさんいるし、
台湾の子どもは放課後にまったく遊ばないかというとそうではありません。。

 

あくまで教育熱心な家庭が日本よりも多い傾向にあるという事ですよ。

 

で、冒頭で伏線張ったんですけど、僕の母は台湾人です。
「教育に限らず日本にいるなら日本の価値観で動いてよ!」ってツッコみたくもなりますが、
中々それも難しいのでしょうね。

 

僕に対しても自分の唯一の子どもな為、
将来を心配する側面がもちろんあったんでしょうけど、
僕に対しても勉強面で徹底的にスパルタで接してきます。

 

たしか小学2年生の頃には、
「あなたは中学受験をして受かり、私立の中学に進みなさいよ!」
という母なりの方針を伝え始めてきます。

 

そんなこと小2に言ってもチンプンカンプンですよね。
確か、地元で一番偏差値の高い中高一貫の私立校の説明会?
だかオープンキャンパスに連れていかれた記憶も朧気ながら存在します。

 

正直小2の頃の僕なんて、
毎日を楽しく生きるのに精いっぱいでどの中学に進むかなんて想像もしていなかったです。
毎日学校に行って友達と喋り遊び、
たまには先生に叱られたりダルいテストを受けながらも楽しい日々を送っていました。

 

勉強、おしゃべり、遠足、課外授業、遊び。。
全部楽しかったなぁーーー

 

まぁいいや。

 

話しを戻しますが、
男女問わず友達がいて常に笑っていた僕の楽しい小学校生活は小学4年生の時に激変します。

 

どういうことかというと、
母親が僕を学習塾に入れるのです。

 

「4年生だから、あなたもそろそろ塾に入りなさい。」
「正直学校の授業だけじゃ○○中学(県トップの私立中学)に受かるなんて到底無理よね」

 

こんなことを言われたのを鮮明に覚えています。

 

結果的に塾に入ることになるのですが、
そこに僕の意志など存在しませんでした。

 

「僕は勉強したくない。というか親友と一緒に近所の公立中学に進みたいんだ!」
「塾なんかに入りたくない!」

 

このように言ってはみるのですが、
「ママを信じなさい。これはあなたの為を思って言ってるのよ!」
「将来、貧乏になってもいいの?今頑張らないと将来は暗いのよ?」
と強引に返され僕も反論は出来ず(正確には反論しても無駄)と思い塾に入ります。

 

個別指導の塾だったのですが、
月火木金の四日間は学校終わった後に最低1コマ(1時間半)は絶対に授業を受けることになります。
多いときは3時間だか4時間半。

 

ちなみに水曜日は空手教室に通っていました
これも不審者から身を守れるようになりなさいとかいう親の意向です。

 

塾に入る前の僕であれば学校が終わった放課後に
誰かの家に遊びに行ったり思う存分好きなテレビを見るのが日課だったのですが、
それもつづけられなくなってしまいました。

 

生きる中での楽しみの一部を奪われてしまったので
当時は本当にイライラしてたし心の中では泣いてました。。。

 

ですが入ってしまったものはしょうがないので、
僕は一応中学受験を目指し勉強し始めます。

 

疲れていようが大雨が降っていようが、
僕は行きたくもない学習塾に通い続けます。
ちなみに学校が夏休み期間の時は、
朝から晩まで夏期講習をびっちり入れられ遊びにはほぼ行けませんでした。

 

小4くらいから夏休みの期間に
海に行くとかBBQをした記憶ってマジでないんですよね。
とにかく遊べなかった…

 

反抗することも出来ず、嫌々塾に向かい嫌々勉強する毎日。
家族との会話もテレビやスポーツの話題から勉強の話題に変わり、
友達との会話にも上手く参加できなくなってきます。

 

そんな生活を続け小学5年生の6月ごろ、
僕の人生は狂います。

 

いつものように、
塾で勉強していました。

 

塾といっても個別指導の塾でした。
1人の先生が3~4人の生徒を見るスタイルだったので、
1人で問題を解く時間があるわけです。

 

嫌いな算数のワークを睨みながら
何とか答えを導き出そうと四苦八苦してる中、
鉛筆を握っている右手とは逆の左手が僕の頭に伸びていきます。

 

一本の髪の毛をつまみ勢いよく
ブチッ!

 

髪を抜いてしまったのです。
僕は俗にいう“抜毛症”になります。

 

抜毛症だったころの僕のストーリーに関しては、
ブログ記事YouTube動画で喋ってるので良かったら覗いてみてください。
(↑それぞれクリック出来るようになってます)

 

まぁ簡単に抜毛症について説明しますと、
ストレスから自分の体毛を抜いてしまう精神疾患です。
自傷という部分ではリストカットなんかと似た側面があると思います。

 

僕は受験勉強のストレスから、
髪の毛を毎日100本以上抜き始めます。

 

我ながらヤバいことしてんなーって自覚がありつつも
欲には勝てず物凄いペースで抜いていきます。

 

抜く瞬間、
頭皮から髪の毛が離れる時に走る一瞬の痛みがたまらん快感なわけですよ。

 

自分で書いてて思ったけどやっぱり当時は相当病んでたっぽいですね。(笑)

 

この記事でも書いてますが、
そうやって一日100本以上抜いていると、早い話が簡単に禿げるわけです。
サイドと頭頂部が中途半端に禿げてましたね(写真があったら乗せたいくらいです。)

 

流石に母親も心配するらしく、
原因が受験勉強にあると判明すると中学受験を辞めさせてくれました。

 

中学生~失った自信で消極的な性格に

 

望み通り受験をせず、
仲の良い地元の友達と公立中学に進みました。

 

しかしここからが本当の地獄の始まりでした。

 

僕が進んだ中学は近隣の小学校三つから人が集まってきます。
つまり中学校の顔ぶれの三分の一は顔なじみでほとんど友達だけど
残りの三分の二は新しい顔ぶれなわけです。

 

顔も知らないし名前も初めて耳にする。
完全に初めまして状態。

 

そんな中普通だったらみんな手探りの状態で自己紹介をしたり、
少しづつ自己開示したりしてお互いを知り、
徐々に友達を作っていくものでしょう。

 

しかし、かずほは違っていました。
当時のかずほは抜毛症。
見た目完全に落ち武者で正直言って近寄りがたい。

 

新しいコミュニティの中で
落ち武者の状態で隙あらばコソコソ髪を抜く僕を
周りはどういう風に見るんだろう…

 

こんなことを入学式当日から
ずっと考えていました。

 

完全に自信を失います。
自己肯定感がゼロになります。

 

声はめちゃめちゃ小さくなっちゃうし
内向的に暗い性格になります。

 

友達なんて作れない。
禿げた状態で話しかけたらキモがられるから
教室の隅で小さくなっていよ…

 

ただの陰キャとは一味違う
空気のような存在になっていました。

 

落ち武者みたいに禿げた当時ぼ僕は
中学一年生の見た目ということを考えると完全にキモかったでしょう。
そんな見た目の自分に自信なんて持てなかったし当然誰も近づいては来なかったのです。

 

心の中では友達が欲しいと勿論望むけど
そんなこと恥ずかしくてダサくて言えないし自己肯定感0だから行動にもう移せない。

 

そんな自分自身がどんどん嫌いになっていくし
それが原因でさらに髪を抜くという負のループに突入します。

 

そしてもう一つ中学時代の決定的なエピソードがあります。

 

あれは中一の6月でした。
結論から言うと僕はいじめ受け一時期不登校になります。
厳しい親だったんで風邪や多少のケガなら学校に行かせてくる親でしたが今回ばかりは勝手が違いました。

 

まぁいじめというか、いじられてた。
またはからかわれてたの方が合ってるかも。

 

さっきも書きましたが、
中学にあがると初めて会う人がたくさんいるんですよね。

 

僕の中学は三つの小学校から人が集まってました。
当然初めて遭遇するこの中でいじめっ子みたいな人もいるんですよね。

 

歩いてるといわれるんです。
すれ違いざまに「おいハゲー!(笑)」とか「育毛剤使えよー!(笑)」とね。
一人や二人ならいいんですけど言ってくる人は5人くらいいました。

 

全員名前も知らないんですよん
心の中でお前誰やねんって突っ込みを入れながら誰もいない教室で泣いてました。

 

今思うとどうってことないというかまぁ
ただ僕が禿げてるのが悪いよねっていう話なんだけどやっぱ辛いです。

 

僕の担任の先生は髪を抜く僕のことを
かなり気にかけてくれていたのである日相談してみました。

 

「〇〇先生、ちょっとした悩みがあります」

 

放課後、応接室みたいな場所で個人面談していただきました。
勇気を出し、からかわれていて辛いと打ち明けると
すぐに「対策を考えよう」と言ってくれて学年全員の個人写真と名前が載ったファイルを持ってきました
(ちなみにこのファイル、ほんとは生徒に絶対見せてはいけないらしいっす)

 

犯人捜しの始まりです。
なんか「心が痛むなー」と思いながら一クラスづつ見ていきました。

 

大体全員の顔を覚えてたんで犯人捜しは苦労しませんでした。

 

一人ひとり見ていくと主犯格は全員丸刈りなんですよね。
おそらく全員野球部です。
先生は僕が所属していたサッカー部の顧問でしたが
野球部の顧問の先生と話してくれると言ってくれてその日は終わりました。

 

しかし、10日くらい経っても相変わらず言われるんですよね。
あの時はつらかったまじで。
勇気出して大人に相談したのに状況は何も変わってないという絶望感…

 

さすがに泣きそうになった僕はしばらく学校に行かない決断をしました。
俗にいう不登校ってやつ
理由が理由だったので親もしぶしぶ許してくれました。

 

今振り返ると、
不登校って楽は楽なんですけどなんか気持ちが晴れないものです。
ずーっと家にいても暇なので
その間いろいろ考え事をします。。

 

「いつまでこうしてたらいいんだろうー」
なんで俺は髪を抜いちまうんだ…
一体いつまでこんな生活なんだ…

 

自分と会話していくうちに
どんどん病んでいきましたね。

 

やることもないし
家族からのいつ学校に復帰すんだの無言の圧力を感じるし
日光浴びないからどんどん体調も悪くなる…

 

当然髪も抜いてしまう。

 

そんな虚無時間を過ごして一か月、
インターホンがなりました。

 

僕の家は両親共働きだったので僕が出るしかありません。
恐る恐る外に出るとひっくり返りそうになりました。
家の前に野球部の一年生がほぼ全員集合です。
ビビりましたね。

 

僕が家を出ると全員が口をそろえて「すいませんでした・・・!!」と。
その後は一人一人が自分の言葉でからかったことの謝罪をしていったのですが
正直関係ない部員もいるんですよね。

 

主にからかってきたのは五人くらいですからね。

 

中には今日来られないから謝罪文書いたという人もいて
そんなのをきいてるうちに泣き出してしましました。
もうボッロ泣き。

 

あの時の感情は何だったのか今でもよくわかりません
自分に対しての情けないという感情なのか、
五人に対してのくやしさなのか。

 

まあいずれにせよ明日から学校に来て欲しいと言われ素直に応じました。
勿論さすがにからかってくることは無くなったので少し心が軽くなりましたね。
(なんか僕のほうを見ながらコソコソ笑ってる女子もいたけどそんなのはどうでもいい)

 

そこからはとあることがきっかけで抜毛症を治そうと決意し
自分なりに解決策を探し少しづつ抜くのを減らしていきました。

 

まぁこの辺は話せば長くなりますし
今回の本題とはずれるので
またどこか別の機会で話します。

 

 

高校生~授業中以外は常にイヤフォンをしてた中二病暗黒時代

 

抜毛症を完治させ、近づいてきた高校受験。
中学受験を辞めた僕にとっては初めての受験です。

 

だいたい高校受験って意識高い子以外は、
自分のレベルよりもちょっと高い公立校を一校、
滑り止めでほぼ受かる私立を一校受けるのが定番です。

 

まぁ流石に中学受験で病んで禿げた僕を見てるので、
親も偏差値65以上の高校受けろ!みたいなことは言ってなかったです。
(中学でもそんな勉強してなかったので内申点の時点で受からないと思うけど…)

 

なので高校受験に関しては割と自由でした。
好きたところ受けるし親もそれに口出しはしませんでした。

 

僕は中学生当時、
スクールカースト的に言えば陰キャよりでした。

 

友達も多少はいたし
いじめられたのも最初の1~2か月だけ。
なのでまぁ最底辺ではなかった。

 

でもクラスの中心的な人物っているじゃないですか

 

顔よくて友達も多い、彼女もいて先生からの評判もいい。
部活でもキャプテンで高校も推薦で決めちゃいます!
みたいな人。

 

そういう人への憧れが僕自身心の奥底にありました。
クラスのスクールカースト上位、バッチバチの陽キャになりてえ!
そんな欲求が。

 

もちろんそういう人だってなにも努力してないわけでないのも確かでしょう。
陽キャにはきっと陽キャの苦労があるはず…!
だからなれるかはわからないけど、
高校進学はかずほ陽キャ化計画へのいいきっかけになるはず…!

 

なので高校は県内でも有数の陽キャが多いことで有名な高校に志望しました。
なんか校風、校則が自由そうなところです。

 

僕が志望するちょっと前まで髪色自由で
化粧OK制服着崩してOK授業中に飲み物お菓子自由!
みたいな感じのところです。

 

ダンス部が毎年全国大会行くようなところで
文化祭の後に打ち上げみたいなのがあるのですが
そこではダンス部とか関係なくて男女混合でダンスパーティがあるみたいな学校です。

 

わかる人にはどこ高校かわかるかもです(笑)

 

自由な校風で陽キャっぽいTHE・青春みたいなことができると思ったので、
行くしかねぇだろ。
ここにいけば俺の三年間は最強だぜ!
みたいなことを考えます。

 

そういう校則が緩い学校って偏差値高いイメージなんですが、
僕が志望したところは丁度50ちょい。
THE平均なのでとても人気で毎年、倍率も高かったのです。

 

当時の僕の偏差値は大体40~45くらい。
普通に頭悪かったし受かるかどうかぶっちゃけ怪しかった。

 

そういうときはさっきも書いたんですけど、
滑り止めとして偏差値40くらいの私立も受験するものです。
なので適当に私立高校をピックアップし親に相談します。

 

そこで親はこう言い放ちます。

 

は?偏差値40?
レベルの低い私立に出す金なんかねぇよ
私立出願するなら65以上のとこな

 

僕は絶望します。

 

マジかよ…
てか仮に公立落ちて中卒になったらどうすんねん…
低賃金で働けってか?そっちのほうが母親からしても嫌だろ…

 

まぁ説明しても言い争っても無理なのわかってたし
また自傷に走りたくもないので諦めます。

 

志望する公立のレベルを下げる選択肢もあったのですが、
陽キャになりたい願望が強かったし自分が本当に進みたいところを受けたかったので
志望は変えませんでした。

 

中学の先生はほとんど全員が僕のことを心配してたそうです。
滑り止めを受けないなんて一般受験組では僕とあと一人二人しかいなかったらしく
成績的にも実力的にも僕が最も危うい状況だったそうです。

 

僕自身勉強が得意だったわけでもなく好きでもなかったので、
志望校を決めてから高校が決まるまでの半年間?くらいはもう地獄でした。

 

落ちたらやべぇけどやるしかない。

 

内申点(学校での成績)はもうどうしょうもないけど、
面接と当日のテストはなんとか頑張ろう。

 

髪を抜くことはなかったけど、
Twitterで病んでるツイートをしながら
なんとか受験勉強と面接練習を頑張っていきます。

 

試験当日、たしか2月の14日。
神奈川は珍しく大雪でした。

 

面接はガッチガチに対策したのでいい感触だったけど
ぶっちゃけ筆記の試験はまったく自信なかった。

 

合格発表の前に
中学の卒業遠足で学年全員でディズニーランド行くのですが、
まったく楽しくなかったです(笑)

 

みんな推薦なり滑り止めの私立なりに合格したうえで、
つまり何かしらの進路を決めたうえで遠足に行くのですが、
公立一本勝負の僕はまだ合否が出ていないので不安で仕方ない。

 

遠足当日は一人で回ろうと思っていたのですが、
親友が気を利かせてくれて一緒に回ってくれました。
マジで感謝。

 

そんなイベントもあったりで
合格発表日まで生きた心地がしなかったのですが、
結果、なんとか合格します。

 

その年は奇跡的に倍率が低かったらしく
なんとか運も手繰り寄せて合格したって感じでした。
運ゲーに勝利した。。。

 

まぁ家族は別に祝ってくれませんでしたけどね。

 

ふーんまぁ大学のほうが大事だしな。
かならずMARCH以上行けよ?(偏差値60以上の大学ってことね)

 

こんなことを言われましたが、
知ったことではない。

 

中学時代は前半は抜毛症で苦しんだ。
治った後も自分に自信がなく陰キャな立ち位置で苦しかった。。

 

だがそんなことは過去のことだ。
俺は高校デビューするぞ!

 

意気揚々と高校に進むのですが、
そこでまた撃沈します。

 

まわりが陽キャすぎる。
中学時代の陽キャそれ以外の比率が3:7だとしたら、
高校は7:3でした。

 

まじで中学時代クラスに10人くらいしかいなかった陽キャが
30人くらいいる。残り10人が陰キャ組。
いやマジで高校側が市内から選りすぐりの陽キャ選抜したんか?ってレベル

 

逆にそんだけいたら陽キャに擬態するのも簡単なんじゃないか?
と思う人もいるでしょう。

 

ですが根が陰キャですからね。
自己肯定感もゼロ。
自分に自信ない。(ちなみに高校に進むころには髪はある程度生えそろってました)

 

デビューしようと、
馴染もうと努力はしましたが
無理でした。

 

いやまず声デカくね?
なんで4月なのに日焼けしてんの?
てかなんでもう友達いるの?

 

後から聞いたのですが、
試験日当日に休み時間があるじゃないですか。
そこの休み時間に自己紹介を済ませLINEを交換したそうです。
合否まだわからないのに。。。

 

いやー本物すぎる。
バイタリティからして違うわ。。

 

県内から選りすぐりの陽キャが集まっている空間
僕には耐えられませんでした。

 

そこで僕は拗らせます。

 

こいつらより良い大学に行ってやろう。
最後に笑うのは俺なんだよ!

 

こんな思考になります。

 

偏差値50で陽キャが多い空間でしたからね。
授業中うるさいんですよ普通に。
私語は当たり前だしスマホでソシャゲしまーす
みたいな人しかいない。

 

別に僕も勉強が好きな人間ではなかったので
それ自体は何とも思わないんですが、
そういう空間に染まりたくないみたいな考えになるんですよね。

 

スクールカースト上位に、陽キャに憧れて入ったはずなのに
自分にはなれないとなったとたん畏怖の対象に切り替わったのです。

 

今思うとすんごいしょっぱいというかダサいんですけどね。
こいつらより良い大学に行って幸せな人生歩んでやる!ってなりました。

 

んで授業もまじめに聞くし
夏休みは大学のオープンキャンパスに生きまくるみたいな人間になりました。

 

クラスメイトのみんなは体育祭とか文化祭で
盛り上がってるんですけどそんなのは全部欠席しました。
(勉強のほうが大事だ!と言い聞かせてたけど
単にクラスに馴染めなかったから行きたくなかっただけです)

 

まぁ一言で言うとただの痛い厨二病です。
周りと違うことしてる俺かっけーみたいなね。
今振り返ってもダサいしキモイ。

 

それで成績が良いなら良いんですけど
これがまた難儀でして
体育祭文化祭部活恋愛バイトに全力だ!みたいな陽キャの方が全然テストの点が良いっていうね笑

 

オマケに僕は文系で私立受験のつもりだったので
数学?物理?聞く意味ないっしょ笑とか言って
授業中は寝たり携帯いじったりしてました。

 

それで6月くらいにある高二の前期中間テストの
数学で0点を取りマジで留年しかけます笑
まじダサいし終わってる…

 

今思うと学校の雰囲気に馴染めないから
それ以外のところで自分が何者であるかを
確立させにいってたんだと思います。

 

それ自体は別に悪いことではないのですが、
なんか後ろ向きというかね。
凄い狭い視野で物事を捉えていました。

 

夢や目標、なりたい自分がいる訳でもないから
勉強してはいるけどイマイチ身が入らないし
成績がちっとも伸びてかない。

 

余談ですが、
僕がネットビジネス(情報発信ビジネス)に出会ったのはこの時期です。

 

成績は伸びないし、母親の方針で偏差値60以上の大学しか受けさせてもらえないことが確定していたため、
僕はシンプルに絶望して病むのです。

 

「このままじゃ半年後に何をしているのかもわからない」
「月収15万で一生暗い人生か?」
「俺、お先真っ暗じゃね?」
「でも勉強はしたくねぇ。辛すぎる。。」

 

今思うと凄いわがままな主張でした。

 

絶望しつつ僕は現実逃避するために
スマホで片っ端から

 

「金持ちになる方法」
「高卒でも金持ちになれる?」
「月収100万になるためには?」

 

みたいなキーワードで検索し始めます。
将来の不安を消し去りたい一心で。

 

そうしてあるブログが僕の目を引きます。
ぼかしますが「大学生が月収300万」みたいなブログです。

 

あーはいはい。
よくいるわ。
こういう胡散臭いブログ。

 

そんな大学生いるわけない!
この国は平均年収が300~400万やぞ。
月収で300万って…しかも大学生で(笑)
ありえんありえん。

 

当たり前のようにこんなことを思っていたのですが、
当時の僕は、勉強したくない&将来の不安を消し去りたい
という気持ちに強く支配されていたのもあってか、
胡散臭くて怪しいんだけどもとりあえず読んでみようという発想になります。

 

とりあえずブログ開いてみる。
300記事くらい入ってる。

 

なんかこういう人って金持ちっぽい画像を何枚か投稿して
こっちが近づいたらDMで営業を仕掛けてくるイメージ…

 

その割にはめっちゃたくさん記事書いてんな…
しかもなんかタイトルが絶妙に読んでみたくなるタイトルだ…!

 

なん記事か読んでみました。

 

「知識を付ければ誰だって会社を辞められる」
「起業に資金なんて必要ないしリスクなんて皆無だ」
「世の中には自動で月収300万稼いでる人間がゴロゴロいるぞ」

 

ざっくりこんなことが書かれていました。
僕が思っていたこととは真逆でした。

 

会社を辞めるなんて現実的じゃないし
起業は莫大な資金が必要で銀行からお金を借りてくるイメージだし
安定しないし不労所得なんてありえない…

 

まだ信じられない。
だけどやたら堂々としてるし自信たっぷりに言い切っている。
もうちょっとだけ見てみるか…

 

結局その日のうちに
その人のブログ記事をほとんど読み漁ってしまいました。

 

当時の夢も希望もない僕にとっては
一筋の希望の光が現れたというか
衝撃でガタガタ震えたのを覚えています。

 

メルマガもやっているとのことなので読んでみると、
ネットビジネスの原理原則が学べるという教材の案内が流れてきました。

 

こんな自分でも人生が変わるかもしれない…!

 

藁にも縋る思いで僕はその人が出していた
ビジネスに関する教材を購入します。

 

親からもらった古い型落ちのパソコンで
教材を見て勉強していきました。

 

初めて知る単語や概念のオンパレードで
最初は頭が痛くなりましたが
世の中のほとんどのビジネスは単純な公式で組まれていることを知り、
徐々にネットビジネスに対する疑問や怪しさが消えていきます。

 

ただ、じゃあ僕がそこからガシガシと
ビジネスを作っていったかといえば違います。

 

当時の僕は受験生。
目先に会ったのは受験で、
とりあえすべての大学を受けて進路を決めなければ…!

 

そこで僕はいったんビジネスのことは忘れ、
センター試験、私立の一般入試に挑みます。

 

浪人期、大学生~記憶の無い虚無時代

 

結果はまぁ予想通り。
受けた大学は全て落ちます。
(さっきも書きましたが偏差値60以上の所謂MARCH以上の大学しか受けさせて貰えませんでした。)

 

困ったなーどうしよう

 

多分一般的には選択肢は3つあります。
・後期入試で誰でも入れるFラン大学を受ける
・浪人する。
・就職する

 

勉強に関して燃え尽きた僕としては
もう嫌いな受験勉強から解放されたかった。
なんなら大学に入って勉強するのだって嫌だった。

 

稼げるお金が少なくてもいいから就職したい
(今思うと多分3月に採用してくれる企業なんて無かったと思いますが…)

 

その意思を僕は、家族に半泣きで伝えましたが
強い口調である提案をしてきます。

 

「浪人しろ!」
「将来の選択肢が少なくなるぞ!」

 

正確にはここまで強い口調ではありませんでしたが、
僕にはそれくらいのテンションに聞こえました。

 

何度自分の意思を伝えても
浪人以外は許さない雰囲気でした。

 

僕の将来を心配してくれているんでしょうけど、
ハッキリ言って僕は嫌でした。

 

もう一年勉強することも
自分の意思を酌んでくれない親のことも

 

ですがどうすることも出来ず
浪人が決まります。

 

当時親に言われたのは、

 

「浪人はお前が決めた事だからな。
後になってグチグチ言うなよ。
全力で勉強しろ。」

 

僕が甘いだけかもしれませんが、
そんなことを言われて
更にイライラしたのを覚えています(笑)
お前らが半ばゴリ押ししてきたんだろうがっていう

 

そして2017年の4月ですね。
予備校に強制的に入れさせられ
僕の浪人生活がスタートします。

 

でも僕今だからはっきり確信持って言えるんですけど、
どんな勉強でも自分で学びたいという意欲が無ければ全力なんて出せないんですよね。

 

少なくとも僕は人からやれって言われたことをやれるタイプではありませんでした。

 

夢や希望も見いだせずなんの為に勉強してるかもよくわからず
たまにサボりながらも
毎日家と予備校を往復する毎日。

 

うだうだして虚無の1年間でした。

 

で月日は流れ
2018年の3月。
僕は何とか大学への進学を決めます。

 

といっても第一志望ではなく
偏差値50ちょいの大学です。

 

一応、落ちる人間はいるので
いわゆるFラン大学では無いのですが
誰でもちょっと勉強したら入れる大学なので
浪人した人間の中ではかなり下のランクでしょう。

 

流石に二浪はまずいとのことで、
この辺の大学も一つ受けさせてもらえました。

 

受かったはいいものの一浪だし
中学高校での経験があった僕は
大学に馴染める気もしないしキャンパスライフを謳歌しているビジョンが見えませんでした。

 

それどころかちゃんとした
ホワイト企業に内定とれるかもわからない。
圧迫面接とか怖そうだしなにより就活がめんどい。

 

全てがネガティブ思考で無気力で
中学や高校の頃とは日にならない位
色見の無い大学時代でした。

 

大学時代の具体的なエピソードとか
書きたいんですけど
本当にないんですよね。

 

大学に籍を置いてるだけのニートです。
友達もいないし趣味もない。
お金を稼ぐためにバイトするのだって嫌だ。

 

自分の部屋に引きこもり
好きなサッカーを見て寝るだけの毎日。

 

それに対して、
同級生のインスタとか見ると
なんかやたらとキラキラしてるんですよね。
ブランドもの身に着けて友達と旅行だー!
みたいな感じ。

 

いやいやなんでそんな金あんねん。
きもいきもい。

 

ほんとはめちゃくちゃ羨ましいんですよ。
でもきもいと思うことで自我を保ってました。

 

今思えばもっと外に出て友達を作るべきだし、
バイトでもして金を稼げばいい。
ただ単に努力してないだけ。

 

でも怖いんですよね。
新しい世界に触れることも
実際に飛び込むことも。

 

でも、、
これもニートあるあるだと思うんですけど、
そんな自分の現状に満足はしてないんですよね。
なんならずっとイライラしてる。

 

無気力で挑戦や努力から逃げ、
一番脂がのっているであろう若い時の時間を
無駄にしている自分に。

 

実家を出てフリーターしながらビジネスに取り組む←イマココ

 

 

でも当時は、
どうしたらいいかわからない。
なにからやればいいのかも決められない。

 

そんな中でまた親とケンカします。

 

大学行ってるか?
お前就活はどうすんだ?的な話です。

 

うっせぇわ。
ほっといてくれ。
そもそも人生の方向性が決まってないのはお前らのせいなんだよ。
俺はあんたらが嫌いだ。

 

こんなことを言ったと思います。
殴られてもいい。
情けない、人のせいにするなと言われてもいい。

 

なんかもうすべてが嫌だ。。。
現状を変えたい・・

 

すると親がある一言、

 

「じゃあもう出てけ」

 

ん?

 

「そんなに親のことが嫌いで現状にイライラしてるのであればもう出ていけ」
「100万やるから今すぐ消えろ」

 

え、マジ!?
実家から離れるチャンスくれるの?
やったぜ!!

 

僕は狂喜乱舞します。
親から離れられる!
環境が変われば何か人生が動くかもしれない…!

 

すぐに僕は家を探し始めます。
大学にも歩いて通える場所で。

 

本当は出て言って欲しくないのか
単に金が勿体無いのか、
母親は「いやあなた大変よ?」
みたいなこと言ってくるのですが、

 

今更、
なに茶番言ってんだよって感じで
2週間後には実家を出ます。

 

そうして、家具も何もない六畳一間の部屋で一人暮らしをスタートさせたあの日。
まだ電気が点かなかったので明かりを求めて新宿のテルマー湯というところに歩いて向かいます。
24時間やってる温泉施設です。

 

僕は、ボーっと温泉に浸かりながら
親の言いなりにはならずに
自分自身で自分の人生のデザインをしていく
そう心に誓ったのです。

 

憧れの一人暮らしがスタート。

 

始まったばっかりの序盤は
慣れない土地に慣れないアルバイトに苦しみましたが
今は何とか生きれてます。

 

ちなみに大学は無事に卒業し
今現在はただのフリーターです。
コンビニの夜勤でアルバイトしてます。

 

傍から見たらお先真っ暗で人生ぐらついてる人間かもしれません。

 

でも誰も何も僕を縛らないという解放感から
今が人生で一番楽しいです。
子供の時より年を取っているはずなのに今が一番夢や希望がある状態です。

 

忘れかけていた情報発信ビジネスのことを思い出し、
本腰を入れ、かずほとしての活動を始めたのが今です。

 

このままずっとフリーターでは人生終われねぇ…!

改めて理念のおさらい

 

まぁ大体、かずほという人間はこんな感じです。

 

まぁとりあえず、

 

毒親育ちで自己肯定感ゼロの人間が
実家を飛び出し一人暮らし、
こっからはバイト辞めるために頑張っていくよ

 

ってことです。

 

自分の人生は自分で主導権を握りたいし
自分でデザインしたいのです。

 

具体的に言うと、

 

好きな時間に起きたいし
好きなものを食べたり
好きな人とストレスのない時間を送りたい
真の意味で自由に生きたい。

 

なのでそれを達成する手段として、かずほの発信していきます。

 

別に応援してくださいなんて言いません。
でも僕なりに価値提供していきたいと思っています。

 

でまぁ
具体的になに発信すんの?って話ですが、
僕のメディアではずばり!

 

僕がバイトを辞めるために藻掻く過程と
日々勉強と実戦の中で得たビジネスに関する知識を発信していきます。

 

僕自身、
ネットビジネスで成功されている先駆者様が出している教材なりセミナーなりに
200万以上投資してきました。

 

そこで得た知識やノウハウを惜しげもなく発信していきますし、
リアルタイムで僕がメルマガやブログ、YouTubeで発信していく
様子を体感してほしいです。

 

これを読んでいるあなたも、

 

今の生活を変えたい!
本当の自分になりたい!
金持ちになりたい!
自信つけたい!

 

なんて欲求がもしあるのであれば
僕の発信を通して頑張ってくるれると嬉しいです。
そうなってもらえるために僕も全力で発信していきます。
共に一歩ずつ前に進んでいきましょう!

 

ビジネス=価値提供です。

 

価値提供ってなんやねんって話ですが、
「お客様の悩みを解決したり欲求を叶えてあげること」
です。

 

例えで言うと凄いシンプルな話ですが、
世界中で友達を増やしたいと思っている人に
英語の重要性を教えてあげて興味を持ってもらう。

 

そして英語の勉強法だったり
友達を作るためのコミュニケーション術
なんかを伝えてあげる。

 

こんなんでも十分価値提供が成り立ちます。

 

僕は今までの人生で一番主体的に能動的に学んできたことが、
情報発信ビジネスに関することなので
ここを中心に深堀しお伝えしていきます。

 

ビジネス系で価値提供していきます。

 

今はビジネスをしてないけど少し興味がある、
会社辞めて自由に暮らしたい

 

なんて想いのある人には必ず価値ある情報を届けれられると思っています。

 

いきなり月収100万なんて目指さなくていいです。
まずは最初の5万、10万と積み上げ
行きたくない会社やバイトを辞めるところを最初のゴールにしましょう。

 

僕もそこを目指しています。
繰り返しになりますが
共に頑張っていきましょう。

 

これはまんま僕の自己紹介の記事になりましたが、
他の記事では情報発信ビジネスに取り組むうえでの具体的なアクションや姿勢なんかを書いてます。

 

是非、興味のあるものから読んでいってください。

 

ちなみにブログ以外にもメディアを持ってます。
どれもブログでは書いてないことを発信してるのでそちらもぜひ。

 

・Twitter↓
https://moncamino.com/l/u/PIdyScy7oE99ExJL
140字で簡潔に日々感じたことをつぶやいてます。

 

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ビジネスの話を中心に自由の高い人生を自分でデザインしていく術を動画で発信しています。

 

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無料ではありますが他のメディアと違って最初に登録をしなくてはならない為、
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